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 憲法学の樋口陽一東北大名誉教授は4月、東京都内での記者会見で言った。

 「これほど卑しい政治を我々が選び出してきたことを、我々自身が恥じなければいけない」

 熊本地震を受けて、非常時に政府の権限を強める緊急事態条項が、憲法に必要だと主張する改憲派を批判した発言だった。

 いつからこんな政治になったのか。20年前に始まった衆院小選挙区比例代表並立制がひとつの岐路だった。1989年のベルリンの壁崩壊や91年の湾岸戦争への対応で冷戦後の日本の針路が問われた。自民党の金権体質が問われ、二大政党による政権交代可能な政治が求められた。そんな時代の分かれ目に、政治改革論議の結果として導入された制度だった。

 あれから選挙も、国会論戦も劇的に変わった。

 ▼1面参照

 

(憲法を考える)立憲vs.非立憲 多数で決めて何が悪い? 論説委員・坪井ゆづる

2016年5月2日05時00分

 「立憲主義って何だ?」

 「これだ!」

 4月29日夜。安全保障関連法の廃止を求める高校生ら約500人のコールが、国会前に響いた。

 これまでの護憲派とは異なるリズム、新しい言葉。

 いま問われているのは護憲か改憲かではない。そんな議論のはるか手前に前提としてあるはずの立憲主義、政府は憲法に従って政治を行わなければならないという「当たり前」が当たり前でなくなっている――立憲に非(あら)ず。こんな現状を許していいのか? そう訴えたくて集まった。

 安倍晋三首相は国会で、憲法解釈の「最高責任者は私」と言い切った。「立憲主義にのっとって政治を行うことは当然だ」と繰り返しているが、本当にそうしているだろうか。

 2014年7月、首相は集団的自衛権の行使容認を閣議決定した。それまでの内閣が重ねてきた憲法解釈を、ひっくり返した。

 その前年、内閣法制局長官集団的自衛権の行使容認に前向きな外交官を起用したところから、この流れは想定された。権力者が「法の番人」を自分色に変える。日銀総裁。NHK人事。みずからの力をこれほどためらいなく行使する首相はかつてない。

 権力を分散させて相互間の「均衡と抑制」を図る憲法の考え方からは遠い。

 昨年6月の衆院憲法審査会。参考人の憲法学者3人がそろって安保関連法案を「違憲だ」と指摘した。だが耳を傾けることなく採決を強行した。説得して納得を広げるより、結論ありきで走る政治手法が目立つ。

 数の力がすべてだ。○か×か、多数で決めて何が悪いのか――。ぎすぎすとした政治が広がっている。

 だが、これは安倍政権で突然、始まったわけではない。1990年代から少しずつ、私たち主権者の同意を得て準備されてきた。

     ◇

 これまで憲法は「護憲VS.改憲」で論議されることが多かった。でも、それでは見えないことも出てきている。今回は「立憲VS.非立憲」という新しい「レンズ」で、日本の現在に目をこらしてみる。▼2面=岐路

 

  

 ■党と党激突、数の力で重要法成立

 小選挙区制で、選挙は政党同士の激突になった。同じ党から複数の候補者が立ち、「個性」も競い合う中選挙区制と違い、党の看板を背負っての決戦だ。勢い、敵か味方かをはっきりさせて、○か×かの選択を迫る展開が増えた。

 同時に複数の当選者があった中選挙区制に比べて、党公認の重みが増した。公認権を持つ党本部に異を唱えづらい体質が強まり、党首の権限が強大化する一方で、党内が単色化した。

 選ばれ方の変化は、国会審議も対決型に変えた。足して2で割る合意形成型の決着が減り、法案の欠陥を指摘されても「数の力」で決着を図るようになった。

 いまの自民・公明連立政権は、政権維持のための「数合わせ」でもあるので、数の力で決することへのためらいは希薄だ。

 この傾向を決定的にしたのが、自公両党が自由党をはさんで連立した99年だ。憲法の理念にかかわる重要法を、3党で次々に成立させた。最大野党の民主党内で賛否が割れるテーマが多く、国の行く末を占う展開に緊張感がみなぎった。

 安保外交面では、周辺事態法を含めた新ガイドライン関連法を通した。日米安保体制が日本や極東の安全を守る仕組みから、米国の世界戦略を支えるものへと変質した。この変質が16年後、集団的自衛権の行使容認へと結びつく。

 内政面では、第1が通信傍受(盗聴)法。当時、小沢一郎自由党党首は「国家的な危機管理という考えが根底にあって成り立つ」と語っていた。その発想の先に特定秘密保護法(13年成立)がある。

 第2は国旗・国歌法。政府は「学校現場への強制はしない」と繰り返したが、実態は違った。いまや「国費も投入されている」との理由で、文部科学相が国立大に国旗掲揚や国歌斉唱をさらりと促している。

 第3は全国民に番号をつけた改正住民基本台帳法。マイナンバー制度導入への足場を固めた。

 少しずつ、社会を管理する仕組みが築かれ、それを多くの人々が受容している。街頭の監視カメラの増え方が、プライバシー保護より街の安全を重視するようになった人々の意識の変化を映し出す。

 

 ■小泉劇場、首相権力強まる

 ○か×か。「数の力」の政治を最大限に演出したのが、小泉純一郎首相だ。05年の衆院選で、郵政民営化に反対する議員を「抵抗勢力」に見立てて、「刺客候補」をぶつけた。解散権を握る首相が、小選挙区制とともに導入された政党交付金を手に、公認権も差配すれば「鬼に金棒」。首相の権力を見せつけた。

 小泉劇場に人々が熱狂したのはなぜか。二つの要因がある。一つは強いリーダー待望論。「党首の顔」で戦う小選挙区制には欠かせない。毎年のように代わった首相より、「自民党をぶっ壊す」と叫んだ小泉氏に期待が膨らんだ。

 二つめは官邸の機能が強化されていたこと。90年代から、首相補佐官制度や予算編成の基本方針を決める経済財政諮問会議などを設けて、首相に権限を集めてきた。それを小泉首相は初めてフル活用した。

 そしていま、安倍官邸は内閣人事局をつくって霞が関の人事を掌握し、民間企業の賃上げにも口を出す。

 かつて菅直人首相(当時)は「議会制民主主義は期限を切った独裁を認めること」と言い、大阪市橋下徹市長(同)も選挙を「ある種の白紙委任」と明言した。託された者の強引さが増してきている。

 「権力は抑制的に使うべし」という穏健な保守思想が揺らいでいる。(論説委員・坪井ゆづる、藤原慎一)

 

 ■<視点>立憲主義、私たちの行動しだい

 小選挙区制になってからの投票率は05年の郵政選挙の67・51%と、09年の民主党政権誕生の69・28%が高い。その後の12年は戦後最低の59・32%。自民党は、下野した09年より比例代表の得票を200万票減らしながら政権を奪回した。

 09年と12年の落差が、小選挙区制導入の目的だった「政権選択」への期待感が冷めた実情を物語る。

 14年衆院選での自民党の絶対得票率(棄権者も含む全有権者に占める割合)を見ると、小選挙区は24・49%、比例代表は16・99%だ。明確な支持は5人に1人ほどしかない。

 それでも自民党はいま衆院の6割余を占める。一票の格差問題で最高裁から「違憲状態」と指摘され続ける国会で改憲が語られる不条理とともに、憲法を論じる舞台が民意を反映しきれていない現状に驚く。

 権力の暴走にブレーキをかける立憲主義の精神に背く「非立憲」への流れが加速している。

 「決められる政治」を求めたこの20年、権力に抑制を求める憲法は後景に追いやられた。私たち有権者の多くも、それを問題にはしなかった。そして今、政権は「憲法のくびき」を解こうとしている。

 現行憲法の是非を論じる以前に、「立憲か非立憲か」が問われる事態に立ち至っていることに気づかされ、立ちすくむ。

 立憲主義のもと、憲法が守る個人の尊厳、自由や権利は普遍的なものだ。多数決や時の権力者の都合では変えられない。そもそも憲法は権力を縛るものだ。

 だが、権力者が立憲主義を打ち壊して「非立憲」にしても罰則はない。私たちが黙認すれば、そのまま行く。そのことに気づいたからこそ、人々は街頭に出て声を上げ始めた。立憲主義を守るのも、手放すのも、私たちの行動しだいだ。(藤原慎一)

 

(憲法を考える)立憲vs.非立憲:中 グローバル企業、法と衝突

2016年5月3日05時00分

 

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 ■突然のリストラ、無効判決

 かつて駐車場だった敷地は、縦横に走る白いフェンスで分断されていた。

 滋賀県にあるJR琵琶湖線の野洲(やす)駅から徒歩2分ほど。東京ドーム五つ分の敷地に「京セラ」「オムロン」の工場群が広がる。

 ひと昔前まで、ここは大型コンピューターを一貫生産する日本IBMの野洲事業所だった。米IBMは2000年代、製造業からサービス業にかじを切り、日本でのものづくりから撤退した。一時は約2千人の従業員がいた野洲も、複数の会社に切り売りされた。

 国境を越え活動するグローバル企業は、拠点とする国を選ぶ時代になった。円高の定着で日本でのものづくりは、最先端の製品が中心となった。野洲からの撤退は、米IBMが中国など新興国向け市場を強化しようと、世界の運営体制を見直した時期と重なる。

 「IBMの逃げ足は早かった」。同社との液晶の合弁会社を野洲などに置いていた東芝の元幹部は、振り返る。「終身雇用を日本で捨てるとは思わなかった」。日本IBMはその後、大規模なリストラに踏み切る。

 「明後日の金曜の夕方、面談したい」。東京本社で働いていた男性(60)に、所属長からメールが届いたのは、13年6月のことだ。すぐに「危ない」と感じた。金曜に解雇予告されるケースが多かったからだ。

 男性は技術者として野洲事業所に入ったが、営業をサポートする部門に配置転換され、上司から「こんなこともわからないのか」と言われていた。金曜は面談に出ず退社すると、翌日には自宅に速達が届いた。「12日後に解雇する。ただし、自主退職するなら撤回する」「出社を禁じる」。理由には「業績が低い」とあった。

 男性は同僚らと無効を求めて会社を提訴した。東京地裁は今年3月、「本人の適性にあった職種転換をしなかった」などと、男性ら5人の解雇無効を認める判決を出した。控訴審はこれからだ。約50人が会社の解雇予告を受けたとされるが、訴えたのは12人にとどまる。

 安倍政権では、解雇不当とされた働き手に対し、会社がお金を払えば退職させられる「金銭解決制度」の導入が検討されている。導入を要望している経済同友会の冨山和彦・副代表幹事(56)は「金銭解決制度は欧州の主要国にあるし、米国でも認められている。日本の労働法制は独特で、ガラパゴス化している」と語る。

 多国籍展開するグローバル企業にとって、国ごとに異なる法制度は障壁になりやすい。経済界からは「面倒な国なら海外に出ていけばいい」という声も聞こえてくる。企業から国が選ばれる時代となり、日本は労働法制を緩和し、法人税率を下げ、金融緩和による通貨安競争で、産業の競争力を高めようとしている。

 そこには、国民の権利を守る立憲主義とは無縁の世界が広がる。個人の人権のよりどころは憲法しかない。だが経済合理性は、それをも飛び越えていく。

 自民党憲法改正草案前文には、こう記される。

 「活力ある経済活動を通じて国を成長させる」

 安倍政権は「世界で一番企業が活動しやすい国」を掲げる。憲法改正もまた、その延長線上にあるようにみえる。

 

 ■原発は「公」? 人権と折り合いは

 経済同友会の「憲法問題調査会」が03年に出した意見書がある。

 「『自由』『権利』の名の下に、『公』の概念を否定的にとらえる風潮への懸念がある」。人権を制限できる条件として現行憲法が掲げる「公共の福祉」の概念を明確にするため、「どのような条件で権利が制限されうるのか明記する」と提案している。

 自民党憲法改正草案も「公共の福祉」は意味が曖昧(あいまい)だとして、「公益及び公の秩序」に置き換えている。

 経済界にとって、人権と折り合いをつける「公」とは何だったのだろう。

 同友会の調査会委員長を務めた高坂節三・元伊藤忠商事常務(79)によると、70年代の石油危機原油価格が高騰した教訓から、輸入に頼るエネルギー源を多様化する必要性が叫ばれていた。最も期待されたのが、原子力だった。

 だが、原発立地への地元住民からの風当たりは厳しく、「どこの電力会社も地元対策で大変だった」と高坂氏は振り返る。「原発をつくろうとすると激しい反対運動が起きた。原発のエネルギーは日本の国を守るために必要だった。エネルギー政策は、いわば『公』でしょう」

 東日本大震災による東京電力福島第一原発事故から5年。原発の再稼働に対する司法判断は分かれる。

 「なぜ一地裁の裁判官によって、国のエネルギー政策に支障をきたすことが起こるのか」。関西経済連合会の角和夫副会長(阪急電鉄会長)は今年3月の会見で、「憤りを超えて怒りを覚えます」と語った。

 この直前、大津地裁関西電力高浜原発3、4号機の運転差し止めを命じた。「三権分立」を忘れたかのような発言の真意をたずねるため、角氏に取材を申し込むと、文書で回答があった。「発言は三権分立に言及したものではないが、司法判断が分かれることによる社会への影響は大きい」

 再稼働による電気料金の値下げで、阪急電鉄だけで年間5億円の鉄道事業のコスト減を見込んでいた。関西にはパナソニックシャープ、中小企業の集積地がある。「関西全体ではかなり大きな影響になる」

 2年前、関電大飯原発3、4号機の運転差し止めを命じた福井地裁の判決には、こうある。「多数の人の生存に関する権利と、電気代の高い低いの問題などを並べて論じること自体、法的には許されないことである」

 公共の福祉には、国民の幸福や健康といった概念も含まれ、「社会全体の利益」と言い換えられることもある。守るべきは「公」だけではない。経済が優先されるあまり、憲法が保障する国民の権利は忘れ去られてはいないだろうか。

 

 ■最低賃金、先進国でも下位

 「♪最低賃金 1500円 上げろ」。ラップ調のリズムに乗り、都留文科大2年の小林俊一郎さん(19)が、集まった約700人の聴衆に語りかける。

 今年3月、学生や労働者でつくる「エキタス」の街頭宣伝が、東京・新宿のアルタ前であった。安倍政権が掲げる時給「1千円」を上回る最低賃金引き上げを求め、昨秋から都内でデモや街宣活動をしている。

 「最低限度の生活を保障する憲法25条は守られていると思いますか」。生活困窮者を支援するNPO「もやい」の大西連理事長(29)も問いかけた。

 25条「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」

 小林さんが格差の問題に関心をもったのは、中学3年のとき。リーマン・ショック後の米国で、失業問題に抗議する「ウォール街を占拠せよ」という運動が広がっている様子を、雑誌でみてからだ。

 大学に入り、安保法制に反対する学生団体「SEALDs(シールズ)」などのデモに参加しながら、仲間たちとラテン語で「正義」を意味するエキタスをつくった。

 日本の最低賃金は先進国でも最低水準だ。長引くデフレや円高による国際競争の激化、人件費の安い海外から安価な製品が流入し、企業が人件費を抑えたことが背景にある。日本では、企業側の支払い能力を優先して決められている、との指摘もある。

 最低賃金が時給907円と最も高い東京でも、月収は約14万5千円。最低の沖縄や鳥取など4県の693円だと、月約11万1千円にしかならない。大西さんは「フルタイムで一生懸命働いても、給料だけでは生活できない」と話す。

 小泉政権による構造改革が進んだ約10年前は、「年収300万円時代」といわれた。派遣社員が増え、格差問題に光があたり始めたころだ。国税庁の調査によると、年収200万円以下の給与所得者は、14年には約1100万人に達した。安倍政権が掲げる時給1千円でも、年収200万円にはわずかに届かない。

 エキタスの小林さんはいう。「時給1500円でも年収は約290万円に過ぎないが、生活は少し楽になる。経済成長して分配するのではなく、まずは分配しないと成長できない」

 米国でも最低賃金引き上げを求めるデモが起こり、大統領選では民主党の候補者指名を争うサンダース上院議員が最低賃金15ドル(約1600円)を掲げる。グローバル化がもたらす格差に対抗する動きも、世界の潮流になりつつある。

 リストラや格差は日常的な光景となり、私たちの意識の底に沈みがちだ。憲法にある「公共の福祉」「最低限度の生活」の意味を問い直す。当たり前の権利を取りもどすためにも、もう一度、そこから始めるしかない。

 

 ■<視点>憲法の力借り、政治動かす覚悟

 経済のグローバル化は、それぞれの国を市場を通して結ぶが、国のかたちをつくる憲法は越えていく。

 国境を行き交うお金や人を呼び込むには、同じルールで結ばれた市場が必要だ。魅力ある市場にしようと、国は他の国より有利なルールをつくろうとする。その過程で、国民の権利を守る立憲主義と時に衝突する。

 日本より早く金融市場の開放などを進めた英国では1990年代、保守党政権下で最低賃金制度を廃止した。最賃制度という規制があると、企業の自由な競争を妨げるという考え方からだ。しかし、賃金の低下を招き、労働党政権によって復活している。

 日本ではどうか。昨年改正された労働者派遣法はこれまで、国際競争にさらされる企業に都合のいいように変えられてきた。中国など低賃金の国に対抗するあまり、日常で格差を感じる水準にまで、賃金は低く据え置かれてきた。

 一国の枠組みを決める憲法は、国境にとらわれない市場の前では「無力」なのだろうか?

 行き過ぎたグローバル化から、国民を守るのは政治の役割だ。憲法にはすでに、働き手の権利や最低限度の生活を保障する規定がある。私たちが憲法の力を借り、政治を動かす覚悟を持ちたい。(編集委員・堀篭俊材)

 

 

(憲法を考える)立憲vs.非立憲:下 中野晃一さん・内田樹さんに聞く

2016年5月4日05時00分

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 このシリーズでは、護憲VS.改憲でなく、立憲VS.非立憲という「レンズ」を用いて、日本の現在に目をこらしてみた。(上)では、小選挙区制導入後、数の力で「決められる政治」に突き進んでいく軌跡をたどり、(中)では、経済のグローバル化が、国民の権利を守る立憲主義と衝突する現状を点描した。そして今回、このような現状と問題意識について、2人の識者に語ってもらう。▼1面参照

 

 ■非立憲的な政治、世界に拡散 上智大教授・中野晃一さん

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 戦後の日本において、立憲主義という言葉は忘れられ、憲法論争はもっぱら、9条を中心に、護憲か改憲かで行われてきました。

 ところが、グローバル化の進展とともに、強い指導者が求められ、選挙で選ばれた時の政府が何でも決めていいというような、非立憲的な政治手法が広まった。さらに、安倍政権のもと、改憲勢力が非立憲ないし「壊憲」勢力に変貌(へんぼう)したことで、立憲主義が再び見いだされました。

 ただ、立憲主義の危機は日本だけではありません。そもそも近代的な立憲主義は、国を単位として、政治や経済の秩序をつくる中で出てきた考え方です。

 それが冷戦後、経済や安全保障のあり方が、国という枠組みを越えてしまったため、憲法秩序が極めて成立しづらい状況になり、非立憲的な政治が世界中に広がっています。米国や西欧で対テロのために市民の人権が制約されるようになっているのもその一例です。

 非立憲化と同時に、ナショナリズムなどの情念を喚起して人々を動員する政治も世界的潮流です。国の財政はどこも厳しい。もう、金をばらまいて国民をまとめられないなか、国としての一体感を保つために、情念を使った動員への依存が進んでいます。各国で極右政党が選挙に勝利しているのはそのためです。

 日本でも、小泉純一郎首相が構造改革を唱え、新自由主義的な経済政策を進める一方で、靖国参拝にこだわった。安倍晋三首相もその流れの中にあります。

 経済のグローバル化に対応するため、政治も、新自由主義的な企業モデルに変質していきます。少数意見や弱者への配慮、熟議を嫌い、トップダウンでの「決められる政治」をめざす。「私が最高責任者」という安倍首相の言い方はまさに、CEO(最高経営責任者)そのものです。

 

 ■小選挙区制、乏しい選択肢

 有権者はさながら、選挙の時だけ呼んでもらえるお客様です。政策や実績を見て「商品」を選び、評価は次の選挙で下してね、と。いい商品は売れる、悪い商品は淘汰(とうた)される。一見フェアですが、実際は、小選挙区制では「商品」の選択肢が少ない上に、死票が多い。マーケットがゆがんでいるのです。

 小選挙区制は結局、A党かB党かを選ぶのではなく、政権党に○か×をつける戦いになる。×をつけられたくない政権党は、優れた政策で支持を広げる「正攻法」より、報道に圧力をかけたり、野党を分断したり、自分たちに有利なように民主主義の「土俵」を作りかえた方が手軽で早いと考えがちです。安倍首相がここまで非立憲的な振る舞いをしているのも、そういう理由だと思います。

 小選挙区制導入には、二大政党政権交代を繰り返すことでチェック・アンド・バランスをきかせるという発想がありましたが、民主党が壊れたら見事に何もなくなった。二大政党ありきで進んだ政治改革をもう一度見直し、多様な言論や政治的オプションを維持できる制度に変えていく必要があると思います。

 (聞き手 論説委員・坪井ゆづる、藤原慎一)

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 なかの・こういち 1970年生まれ。上智大国際教養学部教授。専門は比較政治学、日本政治、政治思想。著書に「右傾化する日本政治」。

 

 ■国家運営、ビジネスとは違う 神戸女学院大名誉教授・内田樹さん

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 グローバル企業の論理は、国民を主権者とする国家のあり方とは、基本的に相いれないものです。

 国境を越えて活動しているので、それぞれの国の法律や言語、商習慣や判例が違うのは困る。雇用条件も労働者の規格も同じ、という均質化した社会が最も望ましいのです。

 例えば日本企業の場合、自分たちは韓国や中国と戦っているというストーリーを組み立て、労働者を解雇しやすくしろ、労働者は低賃金でも我慢しなければならない、と要求している。そうした論理は、国民主権をむねとする立憲主義ともぶつかることになります。

 自民党の改憲草案では、現行憲法で人権を制限する「公共の福祉」という言葉が削られ、「公益及び公の秩序」に置き換えられていることに注目すべきです。

 「公共の福祉」という言葉は、「民の安寧」というラテン語からきています。安寧は、健康や安全、幸福、豊かさなど様々なものをさす。そのせいで「公共の福祉」では曖昧(あいまい)すぎるという議論もあります。

 しかし、曖昧であるがゆえに、実際に個人の基本的人権を制限するには、情理をつくして説得し、多数の理解を得ないといけません。民主主義の訓練のために、あえて多義的な概念を最上位に置いていると考えるべきです。

 これに対し、草案は「公益」や「公の秩序」により私権を制限できるようにするものです。企業が活動しやすい国をつくると言っているようです。経済成長を重視し、事実上の一党独裁で国の方針を決めるシンガポールのような国をめざしているとしか思えません。

 ■失政おかせば、責任は無限

 国家の運営は、ビジネスとは全然違います。株式会社はつぶれたら、出資した人間が損することが責任のすべてです。だが、国家は、外交や国防、食料、エネルギーなどの基本的な戦略で失政をおかせば、その責任は無限に続きます。

 日本の場合は、先の大戦に負けたことで、米軍がいまだに国内に軍事基地をもち、北方領土もロシアが占領している。ときのエネルギー事情によってつくられた原発で事故が起き、国土の一部が住めなくなってしまった。憲法改正もそうですが、首相が辞めれば済む問題ではないのです。

 そもそも日本国憲法は、本質的なもろさを持っています。日本人が自分たちの手で獲得したのではなく、連合国軍総司令部(GHQ)の草案をもとにつくられたからです。憲法を制定した「日本国民」という主体が、当時は存在していなかった。実質的な意味を込めるには、努力し続けなければなりません。

 日本は人口減少時代に入り、右肩上がりの成長は見込めない。成長よりもどうやってフェアに分配するかを考えないといけない。

 「成長より分配」という議論が先進国を中心に出てきているのも、経済のグローバル化が格差を広げている実感があるからでしょう。憲法を守りたいと思うならば、行き過ぎたグローバル化には「待った」をかけるしかありません。

 (聞き手 編集委員・堀篭俊材)

     *

 うちだ・たつる 1950年生まれ。思想家(フランス現代思想)で、武道家。「日本辺境論」「街場の共同体論」など著書多数。